昭和に建てられた老朽化したビルディングがその役目を終え、すごい勢いで消えていく。そして巨大な塔のような高層ビルが駅前の空を覆い始めた―― それが現在の渋谷の姿だ。
2020年の東京五輪に向けて、街の風景は刻々と変わっている。しかし、これまでの再開発には多少の違和感を覚えている。例えば今、ヒカリエに行って子供たちが遊べるか? 答えは NO! である。周りを見渡せば、すべて大人たちの欲望を満たすものしか目に止まらない。子供たちが目を輝かせて楽しめる場所が今この街の何処にあるのだろうか。
思い返せば、1970~1980年代の渋谷は現在の何十倍も輝いていた。何と言ってもその理由はたくさんの子供たちがそこにいたということに尽きる。そこで今回はヒカリエ以前… 東急文化会館の話をしてみたい。
渋谷最大の収容人数を誇った映画館・渋谷パンテオンから階段で地下に降りるとレックスという小劇場があった。映画のチラシを集めるのが流行っていたので沢山の子供たちがいつも劇場の前に集まっていた。すぐ隣には東急ストア(スーパーマーケット)。宿題もせずに遊びに来て、買い物帰りの母親に捕まり泣きながら家に強制連行される子供が随分といたものだ。
『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(1978年)はこの劇場で観た――
宇宙の様々な惑星に侵略の手を伸ばす白色彗星帝国と宇宙戦艦ヤマトとの戦いを描いたスペースオペラ。大彗星の内部に巨大な惑星都市がありハレー彗星のように地球を目指してやってくるのだが、その内容は子供たちにはあまりに刺激が強すぎた。
強大な敵を前にメインキャラクターのほとんどが死ぬという掟破りの展開! そして、最後に主人公である古代進は、すでに死んでしまった恋人・森雪の肩を抱きながら、宇宙戦艦ヤマトを爆弾代わりに敵と共に自爆する。
海のように深い群青の宇宙空間に哀愁を込めて歌い上げる沢田研二のヴォーカルが静かに劇場に響くともう涙を止めることはできない。鼻水を啜り、目を真っ赤に腫らして劇場を後にする少年たちが後を絶たなかった。
そういえば彗星で思い出したのだが、東急文化会館の最上階には五島プラネタリウムがあった。暗闇に包まれると幻想的な音楽がかかり、すっかり宇宙にいる気分になった。私はドームに映し出される星々を眺めながら、ハレー彗星や流星についての説明を聴くのが好きだった。ここは当時、若者たちのデートスポットでもあったので、クラスメイトから「おい、今日プラネタリウムにアベック見に行こうぜ!」なんて誘われたりもした。入場口の前で恋人たちを待ち伏せてからかうなんていう遊びが、ませガキたちの間で流行った。
4階には三省堂書店の他にマウンテンという喫茶店が入っていた。たまに家族で出かけた時は、決まってこの店のコーラフロートを両親にねだった。コーラにアイスクリームを落としただけのものなのだが、カラメルの風味とクリームが溶け合ってたまらなく美味しく感じたのを覚えている。
残念なことに現在の渋谷にそういう空気は残っていない――
仕方のないことだが、東急文化会館があったヒカリエの近くを歩くとポッカリと胸に穴が空いたような気分になる。だからせめて “今はさらばと言わせないでくれ…” そんな想いを渋谷の街にいまだに抱いてしまうのである。
Song Data
■ヤマトより愛をこめて / 沢田研二
■作詞:阿久悠
■作曲:大野克夫
■編曲:宮川泰
■発売:1978年8月1日
※2016年10月20日に掲載された記事をアップデート
2018.08.05
YouTube / lapan-seven
YouTube / boba preneur
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