11月5日

デッド・オア・アライヴ、プラハの夜に鳴り響くエイティーズクラシック

31
1
 
 この日何の日? 
デッド・オア・アライヴのシングル「ユー・スピン・ミー・アラウンド」がリリースされた日
この時あなたは
0歳
無料登録/ログインすると、この時あなたが何歳だったかを表示させる機能がお使いいただけます
▶ アーティスト一覧

 
 1984年のコラム 
充ち溢れる「精神」の歓喜 ― レアグルーヴ、田中浩一

時代を駆け上がった松田聖子、人気絶頂の佐野元春が提供した「ハートのイアリング」

恐ろしいほどの輝き、松田聖子の「ハートのイアリング」

タバコと私とスライダーズ、まずはマレーネ・ディートリッヒ

永遠の青春ロッカー、ブライアン・アダムズのホワイトTシャツとデニム

薬師丸ひろ子「Woman “Wの悲劇” より」金属的な光沢の中に仄かなぬくもり

もっとみる≫



photo:YouTube  

僕は、着の身着のままの貧乏旅行が好きだ。学生時代には、ヨーロッパのユースホステルを渡り歩いていた。ドイツから格安の国際列車に乗りプラハに行った時のこと。狭い個室に7時間閉じ込められ、プラハ中央駅に着いたのは深夜。同じく閉じ込められていたアメリカ人から「プラハには東欧一のクラブがあるんだ」ということを聞いていた。偶然そこは、宿泊予定のホステルのそばだったので、せっかくだから行ってみることにした。

入るとどうやら純粋に音楽を楽しみに来ている人は、ほとんどいないようだった。しかしフロアでは、みんな酔って暴れるように踊っていた。ウォール・フラワーになるのもつまらないので、酔いに任せて知らないアーティストのビートになんとなくのっていた。

しばらくしてDJが変わると、今までバーでたむろしていた人たちもフロアにやってきた。そしてプレイされ始めたのが、デッド・オア・アライヴの『ユー・スピン・ミー・ラウンド』だったのだ! 周りにいるのは、私と同世代か若いくらいの人ばかり。みんなが、あのゴリゴリ・ビートに歓声をあげながら踊り始めた。

その後はBPMの高い曲がノンストップ。これはエイティーズ・ナイトでもない、ゲイ・ナイトでもない、プラハで名の知れた「東欧一の」クラブでの光景なのだ。これは2011年の話だ、決して東亜会館Greeseや青山キング&クイーンでのことではないのだ。

汗まみれになって踊ったプラハの素敵な夜のきっかけは、大好きなエイティーズ・クラシックだった。一緒に踊って意気投合した人たちと飲みながら、デッド・オア・アライヴの話をした。みなこれはスタンダード・ナンバーで最高だと話していた。そしてそれは、EDM全盛期の直前だったのだ。

のちに世界中に広がるこのムーブメントの基礎は、HI-NRGと呼ばれたエイティーズの名曲にあったのではなどと、振り返り思うのだ。そして後追いの僕も、あの1曲で80年代ディスコの熱気を少しばかり感じられたような気がして嬉しかったのだ。

2016.04.23
31
  YouTube / DeadOrAliveVEVO
 

Information
あなた
Re:mindボタンをクリックするとあなたのボイス(コメント)がサイト内でシェアされマイ年表に保存されます。


おすすめのボイス≫
1968年生まれ
親王塚 リカ
 プラハでDOAが人気とは!何とはなしのミスマッチ感がたまりません!いい話だね♡
2016/04/23 23:22
1
返信
カタリベ
1991年生まれ
 白石・しゅーげ
コラムリスト≫
55
2
0
2
2
昭和ジェネレーションパラダイスへようこそ!爆音ディスコで感じる歌謡曲のパワー
カタリベ / DJ BLUE
46
1
9
8
7
デッド・オア・アライヴがやって来た!ラフォーレ原宿に鳴り響くハイエナジー
カタリベ / ロニー田中
87
1
9
8
4
松見坂のラブホ “1983” と ブラック・コンテンポラリーの使用マニュアル
カタリベ / 中川 肇
101
1
9
8
6
80年代の「キープ・ミー・ハンギン・オン」名曲はアレンジを選ばない!?
カタリベ / 中川 肇
27
1
9
8
5
ハラハラドキドキの緊張感、ニュー・オーダーの初来日公演を私は見た!
カタリベ / DR.ENO
11
1
9
8
9
現代に続くエレクトロの礎、デペッシュ・モードはスタジアムロックの雄!
カタリベ / 岡田ヒロシ