笑わないで欲しい。
当時、僕は本気でブラウン管の向こうの女の子に恋(片思い)をしていたんだ。
その女の子の名前は「河合その子」、おニャン子クラブの会員番号12番だ。
まさに、河合その子は僕にとって天使だった。彼女が地上に舞い降りてから既に30年、未だに彼女を超えるアイドルは僕の前に現れていない。
河合その子についてのコラムは今回で2回目。前回は彼女の3枚目のシングル「青いスタスィオン」について書かせてもらったのだけど、今回は4枚目のシングル「再会のラビリンス」について。
恋は盲目と言われたらそれまでだけど、河合その子の曲には実に “いい曲” が多い。これは、アイドルとして扱われたくないという本人の希望もあり、作詞の秋元康、作曲の後藤次利がアーティストして河合その子に向き合った結果に他ならない。おニャン子時代の2曲はこれぞアイドルというふわっと可愛らしい曲だったのだけど、脱アイドル路線が始まったのは、おニャン子の卒業が決まってからリリースされた「青いスタスィオン」からとなる。
アイドルではなくアーティストとして歌を歌いたい、という河合その子の強い思い。これを物語るエピソードがある。
とてもいい曲ですね、と「青いスタスィオン」を褒められた彼女は、いい歌と言って欲しいと答えたという。曲だけを褒められるのは悲しい、歌っている自分も褒められたい、褒められるように頑張りたいという彼女の強い意思表示だ。
だから、歌が上手い下手という論議は置いておいて、河合その子の曲を聴く時は、アイドルの曲ということを忘れて聴いて欲しい。少なくとも僕はそうしている。曲に負けないよう一生懸命歌っている彼女がたまらなく愛おしい。
「再会のラビリンス」は僕の勝手な解釈かもしれないけど、前作の「青いスタスィオン」の続編ではないかと思っている。秋元康が公言しているわけではない。でも、詞を見てみると僕にはこの2曲は連作として成立していると思うんだ。
「青いスタスィオン」は別れの曲。誰にも必ず訪れる別れの時、少年の頃に見た小さな夢が忘れられないと、地図を持たずに都会に旅立つ彼。ずっとついて行きたかったけど、彼は私ではなく夢を選んだというせつない別れの話。
「再会のラビリンス」は、「青いスタスィオン」の私が、彼のいる都会(街)に彼を追いかけていく話。でも、彼がどこにいるのかわからなく、会えるだけで会えるだけでいいと、彼を探して街をさまようという話。
この2曲の主人公が、同じ女性であるかどうかは、作詞した本人に聞いてみないとわからないけど、そう解釈してもいいよね、秋元さん。きっと河合その子も同じ主人公(私)として歌ったのではないだろうか。うん、きっとそうだ。読者の皆さんはどう思われますか?
さて、妄想ついでに…
僕は勝手に、3枚目の「青いスタスィオン」と、この4枚目「再会のラビリンス」、そして、5枚目の「悲しい夜を止めて」を河合その子3部作と銘打っています。これは、やはりその詞から、この3曲は連作だと妄想しているですが…
そんな「悲しい夜を止めて」の話は、また次の機会に!
2017.10.01